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音の無い音楽の”粋”

かの有名なベートーベンの交響曲第5番「運命」の出だしは
ジャジャジャジャ~ンッ!という冒頭で始まるが、実は本当
の始まりは、休符からである。つまり、一旦エルルギーを貯
める間があり、ジャジャジャジャ~ンッ!となるのであると
いうのは、知っている人は知っている。

この音にならない音というのは、実はかなり重要かも。

作曲家のジョン・ケージは、ピアノ組曲「四分三十三秒」を
初演したというが…実は、演奏者はピアノの前に四分三十三
秒の間、不動の姿勢で座っていただけなそうな…。そして、
退場した…。

実は、この四分三十三秒というのは、二百七十三秒で、分子
運動が完全に静止する絶対零度(-273度)に対応してい
たのだという。

ただこの演奏に、聴衆が一斉にブーイングしたのは言うまで
もない…。しかし、その聴衆のブーイングに対して演奏者で
あるジョン・ケージは言った。

「その時、聴衆はホールの木々に吹く風の音、聴衆の
ざわめきを聞いた筈だ。」


わざわざ聴衆を集め、このような発表をするジョン・ケージ
という人物は…余程の信念に基づいて、発表したのだろうな
ぁ…と、ある意味驚嘆(^^;

そういえば、アメリカには「三分間の静寂」という曲がある
という。なんでも、レコードの溝になんの曲も吹き込まれて
おらず、このレコードが演奏?されている間は、静寂が訪れ
るのだという…。

ピアノ組曲「四分三十三秒」も「三分間の静寂」という曲?
も、ジョークと捉えるか粋だと捉えるかは、その人個人の感
覚だろうね。

ただ「四分三十三秒」を「二百七十三秒」と捉えて「ああ!
絶対零度だ!だから、あの演奏者は硬直してるのだぁ!」と
思う人は、どれだけいるのだろう?

言葉遊びも理解者がいなければ、ただの自己満足になってし
まう。しかし題名を聞いて想像すると、まともな演奏では無
いだろうという予測は付く。時間を示した題名という場合、
その時間通り正確に演奏するか、もしくは奥があるのでは?
と想像するのが、ある意味一般的となりうる。題名を気にせ
ず、ただ演奏を漠然と待っているのは、やはり演奏者を理解
できない聴衆となってしまうのかもだ。

「枕草子」で雪の降り積もった朝に定子様が「香炉峰の雪は
?」と問、他の誰もがわからぬ時に、清少納言だけがそれを
理解したというのは、やはり知識の量が必要となってしまう。

それか、先入観を取り払い、見方を変える事ができるかどう
か…もしくは、推理できるかどうかだろう。


例えば「鏡」を表そうという言葉に、こういうのがある。


「私が、その前にいるなら、私はその中にいる。
       私がその中にいるなら、私はその前にいる。」


この言葉をどう推理するかは、その人の感覚・感性になって
しまうのだろうね。


そういえぱ、古典の世界にも謎々があり、こんなのがある。

「雪は下より溶けて水の上にそふ」

この答えの考え方は、某テレビ番組みたいで…(^^;
by stavgogin | 2008-09-11 08:16 | よもつ文
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