<   2008年 09月 ( 30 )   > この月の画像一覧

臭い香り。。。

c0111772_891319.jpg

昨夜、普段食べなれない?肉食系の食べ物を多く食べた
せいか、今日の奏でるというか、湧き出す屁は臭い。

体臭というものは、食べ物による影響が多いようなので
当然、臭みを伴う肉系は屁が臭くなる。

ニンニク食べると、脇の下などニンニク臭が湧き出るし
なぁ。

以前、某番組で動物園を取材して、肉食動物と草食動物
のウンコと屁の臭さの違いというのを上野動物園へと行
き取材した。

やはり草食動物は、臭みの無い草ばかり食べているので
そんなに臭くも無い。その辺の高原へ行って、間違って
馬や牛の糞を踏んづけても、臭くないのであまり気にな
らない…というのは、ウンコは臭いから嫌だというイメ
ージすがあるので、牛?馬は臭くないウンコをするから
か?…といっても、まったく臭くないというわけじゃ無
いけれど(^^;

ところが肉食獣…例えばライオンのウンコはすげぇ臭い
し、屁もすげぇ臭い!以前、イギリスのホテルに泊った
時、訪れたボースが、すかしっ屁をしていった後…すげ
ぇ臭い思いをしたというのも、やはりイギリス人は肉食
系だからだろう。

だから、肉食系人種の蔓延る欧米諸国では、その臭い匂
いを誤魔化すために香水というのが開発されたというの
も納得、納得。

ところで昨夜、日本酒をしこたま飲まされて…今朝のオ
シッコの匂いは、すげぇ臭かった!酒もいろいろあるけ
ど、日本酒は特に臭いかもしれない…ああ、ワインも同
じだ(^^;

ところがコーヒー飲み過ぎると、オシッコの香りがプ~ン
と良い香りがして、思わず飲みたくなる…というのは無い
が、確かにコーヒーを飲んだ後は良い香りがする(^^;

オシッコといえば、スカトロ系人物曰く、朝一番のオシ
コは毒素が強く、飲むと不味いそうな。一番美味しいの
は、朝から3番目くらいが適度な味と程よい香りがして
美味いのだと…(^^;
[PR]
by stavgogin | 2008-09-30 08:11 | よもつ文

猫の瞳の神秘

c0111772_13432728.jpg
c0111772_13433669.jpg

遠野には「重箱の天気」という言葉がある。まあ、山の天気
と同じで、開けてみない事にはわからないという意味で
「重箱の天気」という事らしい。

狐の嫁入りは、晴れ間なのに雨が降っている天気。晴れてい
るのに何故?という狐につままれた感覚の天気。

要は、今朝の天気はなんか変。朝はどんより曇って暗い空だ
ったけど、陽が差してきて青空が見え始め、良い天気だと思
わせたら、急に突風が吹き荒れ吹雪になった。しかし、フト
気付くと、風が止み再び青空になったかと思うと、雪か深々
と降ってきた。ならばいいが、再び突風が吹き荒れ青空が見
えると共に吹雪…。

先述した「重箱の天気」とは、要は全国区で考えれば
「猫の目の天気」という事だろう。

猫の目の天気といえば、朝の7時頃に起きてきた妻なる人は、
非常に機嫌が悪く、それが30分後には機嫌良く変わってい
たが、再び機嫌が悪く…。

とにかく今日の天候と同じように。コロコロと機嫌が変わる
というのは、重箱というより、やはり猫の目なのだろう。

平安の世は、不実なものとして日々変化する月と、光の加減
によって変化する猫の目が挙げられていたけど、急激に変化
する女心もまた不実の証?

まあ男だって、機嫌が悪くなる事はあるけれど、理由はハッ
キリしているのでなぁ。ただ、女の機嫌の変化は予想不可能
なので、光によって瞳孔が変化する理由がハッキリしている
猫の目よりも、予測し辛くて、性質が悪いかも(^^;
[PR]
by stavgogin | 2008-09-29 13:44 | よもつ文

色白は七難隠す

うちのお袋は、色が白い。出身は、岩手沿岸の久慈市出身で、
過去を遡れば代官までいったお武家の家系みたいだ。更に、
漂流のロシア人とも結びついたとの伝説?もあってか、確か
に日本人離れした色の白さを誇っていて、それが自慢でも
あるようだ…。

かたや親父は、やはり久慈市出身だが、どちらかというと山
の方に住んでいた。爺様は、狩猟民族?だったらしく、小さ
い頃に爺様の家に遊びに行くと必ず、囲炉裏には魚がかけら
れており、兎やら熊の毛皮があちこちにかかっていた。どう
やら生活費は、狩猟によって得ていたらしい。だからか肌の
色はは黒く、その地黒の肌は自分に遺伝している。

親父は、その地黒の肌を意識してか、妻を貰うなら白い肌の
女性と決めていたみたいだ。生まれてくる子が、少しでも白
くなるようにと思っての事だったらしい。

ところが、自分の娘は色が黒い。それを親父である自分のせ
いにするが、こればかりは…。

お袋は、色白に生まれなかった孫娘に対して、平気で「色白
は七難隠す」と言うが、お前は色が黒いから仕方ないね…と
口にする。それが結構尾を引いて、娘のトラウマにもなって
いるようた。


ところで「色白は七難隠す」の七難とは?と調べてみた。


一難.顔立ちのまずさ

二難.性格のきつさ

三難.生活の乱れ

四難.老いの恐怖

五難.運の悪さ

六難.色気の無さ

七難.みすぼらしさ


これを読むと、確かに色白だと男にモテる?ので五難の運の
悪さは回避できそうだ。また七難の”みすぼらしさ”も、色
白であるなら磨けば光る原石を彷彿させて”みすぼらしさ”
を隠してしまうのだなぁと思う。

二難の性格のきつさも、美人であれば許されるという、男主
体の考えからきているのだろう…。

とにかく女性は、色白であればいろいろご利益があるのだろ
うが、時代、時代に美意識が変わり山姥みたいなのも登場す
るからなぁ。でも今は正統派の美白に戻っているから、やは
り色白になりたい意識は、女性全般の願望なのだろうが、結
局色白によって自己満足だけが得られるなら、無理して美白
に拘る必要も無いような気がする。男だから必ず色白が好き
とは限らないから…。

どちらかというと色白願望は、女性の意識の集合体から出来
上がった妖怪的な思念なのかもしれない。最近、とにかく夏
でも長袖の服を着て、帽子を深く被っている女性が多いが、
一言いいたい。少しぐらい太陽の日を浴びてもいいんだよ…と。

それこそ、日焼けを恐れ、常に顔を隠して街中を歩いていると、
口裂け女がそうだったように、いずれ都市伝説に発展しかねな
い…(^^;
[PR]
by stavgogin | 2008-09-28 10:09 | よもつ文

青木裕子の場合と武士

c0111772_6445353.jpg

以前のスポーツニッポンの芸能欄に「青木裕子アナ、けじ
め降板」とあった。

以前「日本語王」という番組みていたら、長身の可愛い子
が出ているので、芸能人に詳しい友人に聞いてみた。

「そりゃ、不倫女だぞ。」

まあ、そんなのはどうでもいいのだけど…。

ところで、青木アナのプロフィールを見てみたら、東京都
生れ、漢字検定2級で、なんと”常識力検定1級”なのだ
そうな。しかし”常識力検定”ってなんだ?と調べたら、
下記のURLがあった。

http://www.josikiryoku.com/what.html

「日常生活の中で、あまりにも常識が欠如している今日こ
の頃ですが、いかがお感じになりますか。」


こんな出だしで書いてあった…。

『ああ、自分も最近常識欠如しているからなぁ…。』

とは思ったが、不倫女が常識検定1級だし…(^^;



ところで、何でもかんでも資格を取る人間がいる。資格が
あれば、何かあった時に役立つからだという。ただ、いつ
の間にか、資格を取るのが趣味に成り下がっている人が
多いと聞くが…。

それと、習い事を沢山する人間。華道に茶道に、舞踊やら
いろいろな楽器やら…。家柄が良く、親が厳しければ子供
時代から、沢山の習い事をこなさねばならない子供もまた
いる。
c0111772_6451670.jpg

数年前に映画「ラストサムライ」を観た時、助演の真田広
之が映画のカットの合間に、舞を舞ったり、茶を嗜んだり
していた。考えてみると武士ってのは、武術・弓術・馬術
は当然で、他にも書・茶道・華道・歌を詠む…。

これらを現代で考えると、剣道習って、弓道習って、乗馬
を習って、ついでに茶道と華道も…いや、書道も習って、
短歌も習おう!…となると、月々の月謝って、いくらにな
るんだ?

ついでのついでに算術や、生きる術として山や川などの知
識も含めて、作物も作るとなると算数・理科・地理・生物
を習っているのと同じになってしまう。当然、今の子供が
学校で習う知識をもっと実用的にした知識をバンバン身に
つけていたんだなぁ…と、すげぇ納得&感心してしまった。

ましてや戦国の世を生き抜くには、当然必要な知識であっ
たろう。だから、現代に換算してしまうと、驚いてしまうのは
…やはり自分たちがいかに怠惰な生活を送っているか
…になってまう(^^;

だから趣味であったとしても、いろんな資格をとり続ける
人間ってのは、ある意味ストイックで武士に通じる…のか?

まあ習い事、稽古事を実用化させる事を出来るというのは、
一握りの人間しかいないのだろうし、大抵は趣味の延長上
で頑張っているだけだろう。

ただ”魂に触れる”という意識がある。

例えば、芸術家なんてそういう類だ。ある作品を作る場合、
その魂に触れて、本物を作ろうとする場合だ。

またものを書く、調べる場合もやはり同じものを経験すれば
より本物に近くなる。

歴史が好きな人であるならば、武士と同じものに接する事が
できれば、武士と同じ気持ちに近づけるものなのかもしれない。

いずれにせよ、魂に触れるには、同じものに接するのが一番の
近道のような気がする。
[PR]
by stavgogin | 2008-09-27 07:12 | よもつ文

ゴンベが種撒きゃカラスがほじくる…。

c0111772_721257.jpg

たまたま遭遇した、カラスが畑に撒いた種を食べている
シーン…。

ただ第三者である自分は、カラスに対して「コノヤロー!」
とは思わず、やはりというか「ゴンベが種撒きゃカラス
がほじくる。」という歌?が、すぐに頭の中に出てきた。

ところでこの「ゴンベ…。」って、歌だったか?それと
ゴンベじゃなく、権兵衛だったか?それさえも忘れてし
まっている…。

しかし、せっかく畑に種を撒いても、カラスに集団で
ほじくられれば、たまったものじゃない。この状況に
なっている事を、畑の所有者は知っているのだろうか?

もしかして知らずにいたとしたら、いずれ、芽が出るん
だろう…と期待して待っているのかもしれないなぁ。

そういえば昔、パチンコしている時、たまたまパチンコ
玉をこぼした…。そして、それを拾い上げようとすると、
脇からサッ!と小さな手が伸びて、そのこぼれた玉を拾
う子供が居た。それこそ、パチンコ客が玉をこぼせば、
子供がせっせと拾うというのは…ゴンベとカラスの関係
に近い?(^^;


自分は『まあ、いいかぁ…。』と思っていたのだが、別
の友達とその子供の話題になると、そいつは「ほれ、ほ
れ、拾え」とばかりに、子供の前にわざと玉をこぼして、
拾わせて遊んだのだという。

なんとなくそれは酷いなぁと思っていたが、実はその子
供というのは、母親とパチンコをしにきている子供で、
聞くところによると、その母親の命令でパチンコ玉を拾
って店内を巡っているというのだ。
タバコの煙が充満する店内を、他に遊びにも行かないで
せっせと母親の為に玉を拾って渡す子供は健気な気もす
るが、問題はその母親だよなぁ…。
[PR]
by stavgogin | 2008-09-26 07:21 | よもつ文

人魂?球電?大槻教授の場合…。

c0111772_71235.jpg

とにかく地元の爺様・婆様に聞くと、昔はよく人魂とか
狐火をよく見たという。

大抵は墓場とも言うけれど、馬の卵場(らんば)でよく
見たものだと…。

【注】馬の卵場とは、遠野地方では馬の墓場の事。


もしも燐が燃えて人魂となるのなら、やはり現代は無理。
何故かというと、昔は土葬が主で、骨も丸々残って土に
埋められていたのだが、衛生法が普及して、遠野の町で
も火葬がメインになったからだ。

それでも、昔の火葬場での火力は低く、頭蓋骨も大腿骨
も立派に残っていたものだけど、現代となり火葬の火力
が強くなった為に、火葬後は骨のカスしか残らなくなっ
た。

ただ逆に収めやすいという事で現代は喜ばれているよう
だけど、それと共に…確かに人魂・狐火の目撃例は無く
なったようである。

ところが10年以上前だけど、早稲田大学の大槻教授が
「人魂というのは球電です!」とぶち上げた。

なんでも湿地帯で雷がよく発生する場所では、よく球電
が現れるのだとか。それと、雷雨の日にはやはり球電が
よく現れるのだと。しかし雷雨であると、大抵の人々は
皆、建物の中に避難するので、球電の目撃例は少ないの
だという。

写真は数年前、雷雨の時に自宅の部屋の中で雷を写して
やろうと狙ったもの。

雷の撮影は難しく、とにかくタイミングが命だ。

とにかくカメラを構えファインダーをずっと覗きながら
雷鳴が終わった後に、再び稲妻が走るタイミングを合わ
せようと身構えていると、何やら雷とは別に光が動いて
いるのがわかった。

白く眩い光だったり、赤みがかった色だったりが動いて、
その光が大きくなったまではわかった。それと共に稲妻
が走り、その前後に数枚シャッターを切って撮影できた
のが、この3枚の写真。

外の明暗が違うのは、おそらく露出の問題だと思う。ど
れも同じ時間帯に撮影したものだからなぁ。最後の稲妻
と雷鳴の後、この奇妙な光の蠢きもどこかに消え去って
いった。これが球電というものだろうか?

今後も、雷雨の時に外を見続ければ、もしかして再び遭
遇する事ができるのだろうか?

今日、たまたま古いMOを発見し、中に保存してあった
写真をアップしてみた。
[PR]
by stavgogin | 2008-09-25 07:01 | よもつ文

左は神のもの、右は庶民のもの?

c0111772_816722.jpg

最近、気になる事がある。客に食事を提供するのだけど、お
ひつからご飯をご飯茶碗に盛って、何故か右に置く人が多い。
顕著なのは、学生が泊まった場合の殆どが右にご飯だ。

古いとか迷信だと言われればそれまでだけど、左膳…つまり、
ご飯を向かって右に置き、左に味噌汁を置くのは死人に与え
るものだからと、婆様によく言われていた。

着物もまた左前になると、これは死装束となる。ところが衣
装となると、左前の服は女性のものだという認識もある。

小学校の時、たまたまあった服を学校に着ていったら、ボタ
ンの付き方が左前だった。だから「ああ!女物の服着てる!」
とからかわれた記憶がある。

とにかく左前とか左膳は、避けて通らねばという意識があっ
た。でも…神の前では、殆ど左だ…。

神は左を好むので、殆ど左が重視させられる。神前に進む場
合も、左足を常に前に進み、決して右足が左足より前に出る
事は無い。

トランプ占いであっても、カードは左手が上になって切らな
いといけないのだという。

遠野に卯子酉神社という縁結びの神社があるが、その祠など
や枝葉に赤い布切れを左手だけで結びつける事ができれば縁
が結ばれるとある。神が左手の願いを聞き届けるというもの
だ。

簡単に考えると、右は庶民というより生きている者の為にあ
り、左手は異界というか、この世では無いものの為にあるよ
うだ。

ところで「左を制するは世界を制する」という言葉はボクシ
ングの世界にある。それは最近野球にも通じて、やはり左バ
ッターや左ピッチャーが優遇されるのは、やはり勝つ確率が
あがる為だ。とにかく世界の頂点に立つ為には、左を制しな
いといけんようだ。

「右曲がりのダンディー」という言葉があった…。

そこで考えてみたけど、右利きの男は左に曲がるものだと云
われているが、自分の意識ではなんで左に曲がったかわから
ない。そこで息子が誕生し、成長の具合で右か左かと、どう
変化するかと意識していたが、自然と左に曲がるものだと思
ってしまった。

中学生ならいざ知らず、小学生でセッセと右腕を駆使して自
家発電活動に勤しむとは思えない。確かに右利きなら、自家
発電活動はせずとも、オシッコをする時に右手でつまんだり
はするだろうが、左に曲がる為の極端な負荷がかかるのだろ
うか?

ここで思い起こせば、山ノ神の祭りでは、海のオコゼと男根
が供えられる。山ノ神は女神だという。そこで醜い海のオコ
ゼなどを供えると、山ノ神の美が引き立つというのだ。また
女神である山の神は男根を好む…。

そうだ…元々男根というものは、山ノ神などに捧げるもの。
そして神に捧げるには、左重視となる。だからなのか、成長
と共に自然と左に曲がるのは、役にたつ時期に丁度良いよう
に左に傾斜するのかもしれない。全ては山の神に提供する為
に…(^^;

そして「右曲がりのダンディー」とは…何にも傾倒しない粋
な男の事か?
[PR]
by stavgogin | 2008-09-24 08:29 | よもつ文

挨拶

食堂をしていると「いらっしゃいませ。」で始まり「ありがとうございます。」で
終わるのが一般的だ。ところが店の人間がいくら挨拶しても、客は挨拶を
返す事は、あまり無い。

たまに終始、しかめっ面を遠し、ただ一言決まった品名の言葉を発するだ
けの人もいる事はいる。

ところで昔、黄昏時というか誰ぞ彼時は薄暗く、相手の顔が分からないとい
う。昔はよそ者に対する警戒心などもかなりあった為だろうか、その不審と
思われる人間に声をかけたのだという。


「おばんでがんす(こんばんわ)」


と声をかけたら、その声を返して


「おばんでがんす。」


と返す。

この言葉が返ってくるから、言葉をかけた方も安心したのだという。
この同じ言葉が返ってくるから、同じ仲間だと思うのだろう。ただ…。

「もしもし」

「もし」という言葉を2つかけても…。


「もし…。」


と、一つだけ返ってくる場合は、妖怪であるという疑いをかけられた
のだと。


時代が時代な為、挨拶という言葉を返さないという事は、単なるよそ
者というだけでなく、妖怪では?という不信感と恐怖感を与えるという
事にもなってしまう。

つまり挨拶とは、相手を見分ける手段であり、挨拶を返すとは、その
相手に安心感を与える自己主張でもあったようだ。

なので挨拶をする店に入っても、しかめっ面をして黙っている客という
ものは、現代においても、なんとなく相手に対して不信感と不安感に
加え、嫌悪感を与えてしまうものだと思う。これは、日本古来から続い
て繋がっている慣習に帰来するのだろう。

敗戦後にアメリカ映画が、かなり輸入され黙っている人物なりをクール
という言葉で表現するが、このクールという言葉は外見にも作用するの
で、クールでカッコいい人物はいいのだが、それ以外の人物は、やめた
方が無難だ。

ところで挨拶とは別に、方言もまた似たようなもので、昔は同じ方言や
訛りを話すから仲間だと意識するのだが、同じ身なりでも言葉が違えば…。

「あいつよそ者だ、気を付けろ!」


となってしまう。なので挨拶に挨拶を返す場合は、同じ発音に同じイント
ネーションでなくてはならなかったのだろう。

ところが現代、都会などの標準語圏では逆に、方言や訛りは違和感は
与えるものの、安堵感を与えてしまうようだ。素朴感が言葉に現われて、
不信感を与えないのだろう。田舎の人間であれば、悪い人物では無いの
だろうという判断をするのかもしれない。しかし、方言のきつい人間という
のは、逆に笑われてしまうという意識が強いから寡黙になってしまう人物
もいるのだが…。

訛りがきつい地方の人間は、自分の言葉を恥ずかしいと感じる為か、寡黙
になる者も多いのはつまり、田舎での寡黙は不信感の現われであっても、
一旦都会に出てしまえば、自分は異邦人としての自覚からか寡黙となり、
またその標準語と比較しての方言の恥ずかしさ、他の人とは違う言葉を発
しているという仲間外れ感から、寡黙となってしまうのは過去からの継承で
あるのかもしれない。これは、よそ者に対する概念が、現代にも生き続けて
いる為なのだろうと思ってしまう。
[PR]
by stavgogin | 2008-09-22 09:35 | よもつ文

歌の話(月の砂漠)

少し前に、歌の話題で客と盛り上がった。

やはりというか「通りゃんせ」って何?という事。今では
あれこれトンデモ解釈本があるので「通りゃんせ」も不気
味な歌となってしまっている。

″行きはよいよい帰りは怖い″というフレーズが、何か
不気味なイメージを醸し出しているらしい。

しかし、こちら田舎では”怖い”というのは”疲れる”と
訳するので、行きは体力があるが、帰りは疲れ果てて
大変だとなってしまう。

”怖いながらも通りゃんせ、通りゃんせ~。”も、疲れて
も頑張って歩いてね!という励ましの解釈となってしまう
ので、世間がどれだけ不気味な歌だろうと騒いでも、何か
ピンとはこなかった(^^;

それより自分が中学の頃に「月の砂漠」って変だ!と思っ
ていた。
c0111772_8162622.jpg

1 月の沙漠を はるばると
  旅の駱駝が ゆきました
  金と銀との 鞍置いて
  二つならんで ゆきました

2 金の鞍には 銀の甕
  銀の鞍には 金の甕
  二つの甕は それぞれに
  紐(ひも)で結んで ありました

3 さきの鞍には 王子様
  あとの鞍には お姫様
  乗った二人は おそろいの
  白い上衣を 着てました

c0111772_8171682.jpg

まず…月の砂漠って何?月夜の砂漠じゃなくて、なんで月
の砂漠なのだろう?と。当時、姉が持っていた月球儀を借
りて見ると、砂漠地帯というのも月にあるらしい…。

他の誰に聞いても月夜の砂漠をラクダが歩いているという
イメージを抱いているようなのだけど、それじゃ何故「月
夜の砂漠」という題名にしないのか?などと思っていた。

それと歌詞には、金の鞍には銀の甕とあり、紐で結んであ
りました…というのも、甕の口に何か布切れのようなもの
を被せて紐で閉じているものと思ったけど、紐で結んで…
という表現は無いよなぁと思っていた。

もしかして、言葉の音に間違った漢字をあててしまったの
では?…もしかして、金の蔵であり、銀の亀なのでは!?
などと思った。

そうなると、辻褄が合う…。

つまり「月の砂漠」というのは、宇宙人にさらわれた昔の
人間が、月の前線基地へと連れて行かれ、黄金色に輝く前
線基地を金の蔵と表現したのでは?

銀の亀とは、その前線基地に格納されている銀色に輝く円
盤だったのでは?昔の人間が、円盤の形状をそのまま亀と
して表現したものだったのだろう。

そうすると旅のラクダというのは、宇宙を渡る母船のよう
なもので…やはり、昔の人間が宇宙人にさらわれて母船に
乗って月に降り立ち、その宇宙人の前線基地の有様を克明
に、自分の持てる範囲の知識で表現したものがこの「月の
砂漠」だったのだぁ!…と思っていたが…。

しかし、後で知った事には日本人が日本の地に想い作った
曲だと知り…愕然。紛らわしい歌なんて作るんじゃねぇ!
お姫様ってなんだ!王子様って、日本にいるかよぉ!(^^;
[PR]
by stavgogin | 2008-09-21 08:18 | よもつ文

アジサイと色合い

c0111772_5103086.jpg

遠野でアジサいを楽しむなら、上郷町の伊勢両宮神社がいい。

全般的に赤色の花の多い中、やはりアジサイの青は、なんと
なく目に付くし、好きだった。

昔から服を買う時「男の子は青」「女の子は赤」と教わった。
それからだろうか?なんとなく、青を好むようになったよう
な気がする。

続に青は知性の色、赤は情熱の色とも云われるので気に入っ
ているのかも…。

でも古来からの色の格付けでは、赤の方が位が高いからなぁ。
赤を塗るとか纏うのは、自己顕示であり、何者も近寄りがた
い別格を示すようなので、昔は赤が好まれたようだ。

ただ色というのは、大和言葉では色は色彩を意味するのでは
なかったようだ。「いろせ」は兄。「いろね」は姉で、「い
ろも」は恋する者の呼称なので、今では「色物好き」という
のは、スケベエの代名詞?となっているけど、要は恋に焦が
れる人なんよね。

ところで毎年「今年の流行色」てのが、どこからか発表され
る…あれって、どこで発表してるんだ?しかしその都度、流
行色の服を着こなしたら、毎年服を買うのが大変って…そう
いう感覚は男には無いが(^^;

ただ色も詳細に分けるとキリが無いので、生きているうちに
毎年全ての色の服を集める前に寿命が来る様な気がする。

青は青でも、微妙に変化させて名称が付いているから、同じ
青系統でもいったい何種類あるのだろう?とにかく僅かな色
合いの違いに全て名称を付けたら、それこそ無限になるかも。

ただ色の認識というか意味合いがあるようで、例えば青色を
年代にわけて振り分けると、男の若い頃に青色を纏うと「無
限・理想」という意味合いになるが、老年になって青を纏う
と「冷淡・薄情」という意味合いになるというので、歳取っ
たら青を着ない方がええかも…。

ちなみに赤と青をピックアップすると、

女性が赤色纏うと、若い頃は「情熱・危険」という意味合い
が込められ、老年期には「熱烈・幼稚」の意味を纏うのだと。

女性が若い頃に青を纏うと「永遠・理智」になるのが老年期
には「平静・悠久」という意味合いが出るらしい。

男の赤は「情熱・革命」が歳になると「熱烈・卑俗」となる
そうな…。

つまり両極端な色合いの赤と青は意味合いも極端なので、歳
と共に着こなしが難しい色?”似合う”と”好き”とは、や
はり違うだよなぁ…。

とにかく、いろろいな色の服を纏うのは自由勝手なのだけど、
それによって意味合いがあるようだから…やはり、好きな色
より歳相応?というか、いろいろな雰囲気を考慮しての色合
いの服を着るのが無難という事か…。

赤い服着たお年寄りには、やはり変なイメージが付き纏うの
は、そういう意味合いが自然にわかるからか…(^^;
[PR]
by stavgogin | 2008-09-20 05:11 | よもつ文