上田秋成の「雨月物語(白峰)」で円位の歌に、変わらぬと思
われたものが変わってしまった…という歌が添えられている。 松山の浪のけしきはかはらじを かたなく君はなりまさりけり そう世の中、変わらぬものは無いという事だろう。。。 そしてその後、下記↓の文が続く…。 「露いかばかり袂にふかかりけん。」 (夜霧と涙がどれほど袖を濡らしただろうか。 ) 多分、この文の前に「猶心怠らず供養す。」とあるので、夜も すがら心のこもった西行の読経の為か「露」という語に「夜霧」 と、円位の崇徳上皇に対する想いが「涙」という意味も含め合 わせて訳されたのだと思う。 しかし「ふかかりけん。」の訳を「濡らしただろうか。」と訳 するのは、超法的解釈になってしまう。 例えば、海を見て一言「深いよね。」となれば、普通は海は深 いもの。何を当然の事を言っているんだ?こいつは…となって しまう。しかし、それ以外の「深いよね。」という意味を察す る人は、どれだけいるのだろう? また、真っ赤な夕焼けを見て「深いよね。」と言えば、傍にい る人は、どういう解釈をしてしまうのだろう?真っ赤な夕焼け であるから、その「赤色」の深みを意図して放った言葉なのか、 もしくは人生の黄昏を意図して「深いよね。」という解釈とな ってしまうのか、凄く難しい。。。 ただ、言葉というものは、前後の文の流れから読み取るものと 教わっている。だから「白峰」における「ふかかりけん」とい う言葉は、崇徳上皇の言い表せぬ想いが「袖」にかかり「ふか かりけん」という語は「濡らした」となってしまうのだろう。 現代語に接している自分達は、このような複雑怪奇な言葉と、 なかなか遭遇する事が無い。だけれど、昔…とくに平安時代な どは、このような言葉を駆使して、自分の想いを伝えていた。 自分の、小学・中学の頃はフォークソング全盛期だった。その 途中からロックなるものの勢力が拡大され、いつの間にかフォ ークソングVSロックという、交わる事の無いだろう二つの文 化が、音楽を聴く連中を分け隔ててしまった。 フォークソングは簡単に言うと「僕は君が好きなんだけど、何 で君は気付いてくれないの?」という自己完結の、男の女々し さを歌っているのに対し、ロックはストレートで「俺は、お前 が好きなんだぜ!ベイビー!」という、想いを相手にストレー トにぶつけるようなもの。 どちらかというと、和歌の世界はフォークソングに近いのだが、 日本の文化が西洋化すると共に、そういう回りくどい言い方が まどろっこしくなり、ハッキリわかるストレートな言い回しが 普及し始めてきている。 これは元々、西洋の言葉の語彙が少ない事から来ている。だか ら複雑怪奇な日本語の言い回しが面倒と感じる人々は、だんた んと言葉も西洋化してきたのかもしない。要は、簡潔でストレ ートな言い回しの方が判り易いからだ。そして面倒だからと、 だんだんと略されていき、今では文字も象形文字に近い感覚に 陥ってきている。 まあそれが悪いというわけじゃないが、なんとなく日本の言葉 は、現代になって退化してきているのか?とさえ思えてしまう。 それも全ては「タイム・イズ・マネー」という言葉が普及し始 めてからだろう。そして自分も、その生活と文化に、ドップリ 浸かりつつあるのだが。。。
by stavgogin
| 2009-06-15 15:52
| よもつ文
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